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中国黒龍江省ジャムス市映画会社社長、音楽プロデューサー、黒龍江省映画家協会常務理事、ジャムス市映像家協会常務副主席、ジャムス市映像劇音楽研究会副会長、ジャムス市芸術大学客員教授(器楽)、中国民族管弦楽学会会員、中国二胡学会会員、有限会社天華音楽取締役、天華二胡学院講師。
1960年、ジャムス市保衛小学校入学、62年、10歳のときよりジャムス市の著名な音楽教育家、呉楚群教授に師事、音楽や二胡を学び始める。63年、学校の民族音楽隊に加入し、演奏活動を始める。演奏曲目は『騎兵行進曲』など。1966年、ジャムス市第一中学校に進学し、当該校の民族音楽隊に加入。演奏曲目は『子弟兵和老百姓(人民の軍隊と人民)』など。同年、弟、賈鵬芳(後に中国中央民族楽団副首席、国家一級演奏家となる。現在、日本で活躍中のアーティスト)がその影響を受け、二胡を学び始める。
1972年初め、ジャムス市文化宮民族管弦楽団に入団、楽隊首席兼板胡(二胡の一種。薄い木の共鳴板が張られた弦楽器)ソリストとなり、『豊収鑼鼓(豊かな収穫を祝う銅鑼と太鼓)』、『大寨紅花遍地開(赤い花が咲きほこる大寨)』などを演奏。また、板胡独奏『公社春来早(人民公社の早い春の訪れ)』は全地区(3市8県から選ばれた20グループが参加)の文芸コンクールで器楽部門第1位となり、全地区の音楽業界、メディアの注目を集めた。この録音はジャムス人民放送局で放送されたほか、ジャムス日報にも専門家による評論が多数掲載された。72年から二胡の指導を始める。20余年にわたり教えた生徒は50数名に及び、そのうち10名以上が国家、省、市レベルの大学や楽団に入った。
1974年、二胡の演奏技術の長足の進歩や多数の演奏活動により、ジャムス市評劇団(評劇:中国東北地方の歌劇)に首席二胡奏者、楽隊長として迎えられる。在任期間に公演を行った主要な評劇は、『十五貫』、『小女婿(若い婿)』、『桃李梅(桃・すもも・梅)』など、20演目以上。78年当劇団の作曲および芸術総監督をも兼任する。82年、評劇団団長に就任。長期にわたる団長任期中、当劇団創作、賈鵬新作曲、当劇団出演による現代評劇、『功与罪(功と罪)』はセンセーションを巻き起こし、150回連続公演を行う。全国4省50以上の劇団が、この劇を学びにジャムスを訪れた。
1991年4月、ジャムス市芸術劇院の首席奏者、音楽総監督に任命される。
1992年、ジャムス市委員会、ジャムス市政府の同意を経て、ジャムス市文化局より、ジャムス映画会社社長、音楽プロデューサーに任命される。同年、プロデュースを行った映画『西路迢迢(はるかなる西路)』は全国第2回映画音楽コンクールにて第2位となり、国家文化部、放送部など6部門委員会の奨励を受ける。同年、ジャムス市文学芸術界連合会により、ジャムス市映像家協会副主席に任命される。
1994年、ジャムス市映像音楽研究会常務副会長となる。
1995年、二胡の演奏における造詣の深さや音楽理論面における実績が評価され、ジャムス市芸術大学客員教授(器楽部門)に任命される。
1996年、自ら作曲、演奏を行った二胡独奏曲『松花江之夜(松花江の夜)』がジャムス市第1回文学芸術創作貢献賞を受賞し、市政府から栄誉証書が授与される。
1997年、論文『演劇における役柄の音楽的イメージについて』が黒龍江省演劇論シンポジウムにて第1位となる。
2001年、天華二胡研究会の招聘により来日。天華二胡学院の専任講師となる。その独特の演奏技法や基本に忠実な教授法は、日本においても好評を得ている。
二胡の講師をつとめるほか、多数の演奏活動や収録にも参加している。2002年2月24日、中国民族管弦楽団の演奏に参加し、中国から訪日した14名の著名な演奏家とともに、東京台場のTRIBUTE TO THE LOVE GENERATIONにてライブを行う。また、2002年3月6日、東京銀座の王子ホールにて、弟、賈鵬芳のリサイタルにゲスト出演した。息の合った兄弟の二胡の音色は多くの観客を魅了した。
以後、大阪、札幌、北九州、高松などでも弟、賈鵬芳とともにジョイントコンサートを展開している。
2004年6月、東京にて、ソロリサイタル「賈鵬新二胡独奏会」を開催し、中国の息吹を伝えるその演奏は聴衆に深い感銘を与えた。
CD『光の海』(コロムビア)、『空』(日本クラウン)をリリース。CD『十二国記 蓬山遠景』(ビクター)の録音に参加。中国二胡学会理事。日本二胡学会理事。中国民族管弦楽学会会員。